わらわれちっぺの一生
きっとみんながんばっている。                                   だからきみには昨日がある。 だからぼくには明日がある。
メジャー内科終了
ただいま卒業試験真っ最中のchippe(クレア)です。

今週でメジャー系内科がすべて終了しました。
外科が終わればマイナー系(耳鼻科、皮膚科など)のみ、毎日がパラダイスです。
まあ、再試があるかもしれないけどね・・・。

今週は一週間を通して楽な科目が多かったので中休み的な一週間でした。月曜日は防災訓練だったし。

んで、今日は口腔外科の試験でした。
例年過去問と全く同じ問題が出るので今年もそうだとばかり思っていたのに、いざ試験問題を見てみると全く見たことのない問題ばかり。

・・・こんなの解けるわけないじゃん。なにがしたいの?

と逆ギレしてました。
(口腔外科は歯医者さんの領域。口腔外科医は全員歯医者さんです。医師国家試験には口腔外科領域の問題は出題されません)

そして選択問題なのですが、これの形式も意味不明。

医師国家試験はだいたい選択肢5つあって、その中から2つか3つ選ぶ問題ばかりです。
去年までは連番で選ぶ問題しかなかったので、たとえばこんな感じ。↓

正しいものを選べ。
a.(1)(2)(3) b(1)(2)(5) c(1)(4)(5) d(2)(3)(4) e(3)(4)(5)

この中から選ぶから、たとえば「他の選択肢に書いてある内容が全く理解できなくても(1)と(3)があってることだけはわかる」という場合、答えはaということで解答できました。
それが今年からは「a、b、c、d、eの選択肢の中からあっているものを2つえらべ」という形式に変わるのでちょっと難易度が上がります。

なにはともあれ医師国家試験はそんな感じです。しかし、今日の口腔外科の試験問題は歯科医師国家試験の出題形式にのっとっていたらしく、生まれて初めて見る選択肢が登場しました。

正しいものを選べ。
1ab 2abc 3abcd 4abcde 5abde


 ・・・・・・・!!????


ちょっと待て、ソレ、abは絶対合ってるってことやんけ!!!



じゃあ最初からcとdとeの三択問

題にしたらええやんけ!!!




全くもって意味が分かりませんでした。それが国家試験で出されるというのですから驚きです。


というわけで、出題形式も問題も意味が分からなかったので口腔外科は落ちた気がします。どうでもいいけど。

最近やっと落石の傷も癒え、スポーツクライミングを再開しました!!!・・・・と思ったけど、本気で登るとやっぱりちょっと痛みます。今月はジムで5.11bを、小川山で5.10c(レギュラーとか?)を落としたいなと思っているので頑張ります!!




テーマ:大学生日記 - ジャンル:日記

旅行から帰ってきた!
後日旅行レポを書きます。
ところで、北京パラリンピックの開会式で千手観音やるんだって。
思うんだけど、千手観音の一番前の人って、何もやってないよね。。

テーマ:大学生日記 - ジャンル:日記

夏休み全行程終了
ラストサマーバケーションが終了した。
無事、全過程が終了。
後半戦のヨーロッパ旅行もガンバル旅行だったので
もちろんめちゃめちゃ楽しかったけど、憂鬱なことも多かった。山とか山とか。
今は卒業試験の真っ最中。1日1〜2科目ずつが10月10日まで毎日続く。
キツくはないが、ダルいorz
夏休みは当然1ミリも勉強しなかったけど、今から冬休みの旅行の計画とか立てている有様。
それでも夏休み前に受けた全国模試の結果が返されてたので見てみたら、

下には下がいた。

医師国家試験は下1割が落ちる試験。
こんなに頑張って遊んでるけど、下1割に入るのもわりと難しいみたいだ。
ありがたいありがたい(無論、模試は夏休み前だったので、夏休み中にみんなが勉強してグレードアップしてる可能性は大)。

今週末は家族で伊豆旅行。でも、ただの伊豆旅行ではない。ダイビングもするし、豪華な伊豆旅行だ。この間まで行っていたヨーロッパ旅行とは比べ物にならないほどの豪華な旅行だ。

冬山に登るための装備は重い。それを全部持って成田空港に行ったら「荷物が重すぎます」と言われた。2人あわせて16kgの超過だった。制限はひとり20kgまでで、それ以外に手荷物としてひとり8kg持っていた。だから二人合わせて72kgの荷物を持っていたということになる。どうりで重いわけだ。そして超過料金をよこせという。
思うんだけど、体重100kgのメタボのことを考えたら、私の体重をひくと荷物分の重さは楽勝で超過だ。あの計量器に人間も乗って、「全部で何kg」で計算してほしい。
何はともあれ、ただでさえキチキチの予算なのに超過料金が発生することになってしまった。んで、カチャカチャ計算しておねいさんがサラっと言った一言は、

「日本円で8万1300円になります」



うそーん!!!



この時点で、その後2週間の私たちの運命はきまった。

もちろん、レストランでの食事もした。今にして思えば、当初の予定より多いくらいした。フランスで昼に1回、スイスで夕食2回、イタリアで夕食1回の計4回だからいいものだ。それ以外はテント生活、スーパーのパンとか缶詰できりつめた。
しかしスイスのマッターホルンで経験史上最大の嵐に見舞われた。この嵐のせいでついにテントまで失ってしまった。泊まるところを失った私たちはもう普通の宿に泊まるしかなかった。といっても、ミラノにはもとからテントサイトなんてなさそうだったからどちらにせよそうなったのかもしれないけど。
だからイタリアが一番ひもじかった。おなかすいたし、のどかわいた。そんなときも心に浮かべたのは今週末の家族旅行。「家族旅行ではいいもん食べられるんだ!それまでの辛抱だ!」大好きなビールだって我慢した日もあったさ。。

そんなこんなで色々あったけど本当に充実した夏休みだった。デジカメの写真を見れば、1枚目はなぜか伊豆の写真。「あれ?なんでこんな写真とってあるんだろ?」と思いよく考えると、それも実は夏休みの話だった。もうものすごい昔のことに感じられた。そうして約1ヵ月間の間に撮りためた写真は全部で1700枚。画質を300万画素に落として撮っていたので2GBのメモリーカードでも足りた。今見てみると、300万画素でも写真1枚500KBくらいだから1700枚では1GBにも満たないわけで、相当余裕だったみたいだな。でも実際のLサイズ写真としてプリントすることを考えたら300万画素で十分な気がする。それ以上の変化を人間の目が認識できるのだろうか?というほうが疑わしい。私のカメラは1000万画素まで撮れるんだけど、ポスターでも印刷しない限り必要ない。それよりも防水とか耐衝撃機能を充実させるほうが大切だ。

とくだらないことを書いていたらあと40分で膠原病の試験です。そろそろ最終チェックでもして支度しよう。そしてHPのUP作業にとりかかる重い腰をあげなくては。。


あ、ちなみに、帰りの飛行機ではちゃんと頭使いました。手荷物は本当は8kgまでしか持ち込めないんだけど、手荷物の重さなんて測られないから手荷物を20kgくらいにしたら預けるほうの荷物はひとり20kg以内に収まった。本当は冬装備(スキーウエアの上下、タイツ、フリース、手袋、帽子、フェイスマスク、ゴーグル、冬用登山靴、ヘルメット等)をすべて着て搭乗すれば荷物が軽くなるのでそうしようと思ってたんだけど、正直そのことを考えると行きの飛行機の中からすでに帰りのことが憂鬱だった。実際はそこまでしなくても余裕でクリアできたんだけど。
みなさんも超過料金にはお気を付け下さいネ。

テーマ:大学生日記 - ジャンル:日記

夏休み前半戦終了!
こんにちは!
夏休みが7/31からはじまり、始めの二日は伊豆へダイビングしに行ってました。やっとCカードとりました。個人でやってる小さなダイビングショップでしたが結構アットホームでいい感じでした。8月最後の週末にもまた利用します。ボートのスペシャリティとります。



ダイビングが終わったらpecomaと合流して城ケ崎の岩場とか見て来ました。秋にでも登りに行きたいな。



ダイビングが終わったらそのまま躰道部の合宿2日目に合流。躰道弐段の審査を受けました。かなり練習量が少なく不安要素だらけでしたがまあ無事と言っていいのやら判りませんが終了しました。受かってはいるだろうけど、途中法形(空手でいう形)を間違えたり実戦(空手でいう組み手)でも技を決められなかったりとグダグダ。しかし何はともあれこれで私の躰道は終わりです。最後の夏合宿に参加できてとても楽しかった。下級生とも飲めたし、フランスから来た躰道ボーイ、アンビー君とも楽しく馬鹿騒ぎできました。



躰道の夏合宿に2日目だけ参加すると、深夜に出発して北アルプスへ向かいました。8/3、8/4の二日間は錫状岳という笠ケ岳と連なってる山でクライミングしました。近代的なルート(ビレイ点のボルトはほとんどスポーツルート並)2本、「左方カンテ」と「注文の多い料理店」をやりました。左方カンテは基本つるべで(1ピッチごとにリードを交代すること)、IV級のピッチを私がリードしました。夏休み前の週末にやった三つ峠での地獄の特訓(自分に負けてそこまでではなかったけど)の成果もあってか割といいペースで登れましたが、1ピッチだけフォローなのに1時間かけるというヘマをやってしまった。なにはともあれ、これもいい訓練になりました。「注文の多い料理店」は難しいルートですが、私は1ピッチ目のIV級のピッチだけリードしました。3ピッチ目が核心部で、5.9のクラック登りが出てきます。雨が降り出したのでここでやめにしたけど、このピッチはスポーツ的でとっても面白かった!下部は古い残置があったけどこのピッチはほぼ皆無で、プロテクションは全てカムでとりました。pecomaは快適にリードできたみたいです。



これが終わると場所をちょっと移動して、ついに上高地から北アルプス中心部へ入りました。30kgは確実にあると思われるザックを背負っての涸沢までの道のりは、一時は不可能かと思われるほど困難なものでした(涙)。8/5から昨日まで5日間ほど、涸沢定着でいろんな所を登りに行きました。バリエーションルートとしては、下級生のM君を連れて北穂東稜(ノーザイル)から滝谷ドーム中央稜(つるべ)の継続登攀、前穂北尾根、ジャンダルム(これは一般道)をやりました。そのあと合流してきた1年生と2年生も連れて行った一般道は北穂から奥穂の縦走、涸沢からパノラマコースを通って奥又白池までの観光など。8/9に上がってきた下級生と宴会して、ビール三本分のアルコールが入ったまま涸沢から下山、今に至ります。



明日からはスイス、フランス、イタリアへ旅立ちます。これもほとんど山メインだけど(笑)。目標はマッターホルンのガイドレス登攀とエギーユ・ドゥ・ミディのコスミック稜登攀です。あとは適当にクライミングとか観光とかする予定です。



そんなわけで、夏休み明けのホームページへのUP作業が怖いです(汗)。夏休み前に行った西沢渓谷の沢登りと三つ峠もまだUPしてません。さらに夏休み明けからは2ヶ月間にわたる卒業試験が開始されます。そんなことは忘れて、明日からはヨーロッパを楽しんできます!

テーマ:大学生日記 - ジャンル:日記

死(長文注意)
先日、3連休の土曜日に北岳バットレスをやってきた。
北岳とは南アルプスの主峰で、富士山に次ぐ標高をもつ山。この山に登るバリエーションルート(一般登山道として整備されていないルート)として「バットレス」というクラシックルートがある。バットレスとは「胸壁」という意味で、垂直に立ちはだかる壁のこと。北岳の東面がそういう岩壁状になっており、北岳バットレスと呼ばれている。そこを登って北岳山頂を踏めば「北岳バットレスをやった」ということになる。そういう意味では私とpecomaの2人はこの間バットレスをやってきた。しかしその内容は敗北と呼ぶにふさわしい、実に悲惨なものだった。


北岳バットレスは北岳という巨大な山の東面を形作る岩壁であって、つまりバットレスと一口に言ってもルートはいくつもある。その中でも「第四尾根」と呼ばれるルートが一番登られており人気も高い。私たちも当然この第四尾根をやるつもりだった。しかし下部岩壁から第四尾根へとりつく際のアプローチが分かりにくく、そのことは事前にインターネットなどでも調べて知っていたのだが、案の定道を間違えて第四尾根にとりつけなくなってしまった。しかし私たちはそこで戻らず、そのまま前進して「中央稜」という別のルートからバットレスを登ろうということになった。だがそこから中央稜にとりつけると思ったのも実は間違っていた。結論から言うと、私たちはほとんど登られていない「第二尾根」にとりついてしまったのだった。


「第二尾根」は正に死の臭いのするルートだった。手がかりを掴み、足がかりに足を乗せて登っていくのだが、体重をかけた途端、岩がもろく崩れ落ちる。落石の巣。雪崩のように落石が降った。「残置プロテクション」と呼ばれる、前に登った人が設置した中間支点はほとんど無いので自分たちで支点を設置して登っていくのだが、岩がもろいのでもし落下の衝撃が加われば簡単に砕け飛んでしまうだろうと思った。だがある程度登っていくと後退することも難しくなった。進むしかないのだ。落石の巣の中で身をかがめながら、難しく危険なルートをリードで登っていくpecomaをビレイ(確保)した。pecomaが落下すれば、不安定な場所で不安定な支点に身を委ねてビレイしている私もろともはるか谷底まで墜落するだろう。そんなことを考えていると、小さな落石がバウンドして弾丸のように飛んできた。困難なルートに時間はどんどん流れ、次第にあたりも暗くなってくる。谷をひとつはさんだ隣に見える尾根、「第四尾根」を登っているパーティは楽しそうに会話をしながらクライミングをエンジョイしていた。


岩場にとりついて3ピッチ目くらいで、ついに行き詰った。第四尾根を行く人が大丈夫ですか、と声をかけてくれる。ここから見るとそこから上はかなり難しそうに見えますよ、と。pecomaは「そうですか」と返すしかなかった。もう進むことも戻ることも出来なくなっていた。仮に進めたところで、安全な場所へ通じているという保証もどこにもなかった。もう少しで日が沈む。ここでビバーク(やむを得ず一夜を明かすこと)かとも思ったが、そこは落ち着いて座ることもできないような不安定な場所で、ナチュラルプロテクションでとった支点も今にも抜けて落ちそうだった。


どうして人は死を恐れるのだろう。頭をいろいろな光景がよぎっていた。死なないとしても考え付くのは悲惨な結末ばかりだった。進むことも戻ることもできないとなれば、ここで救助を待つしかない。ヘリが飛ぶような事態になれば多くの人に多大な迷惑をかける。そして二度と山はやれなくなるかもしれない。山は私にとって悲惨な思い出でしかなくなるだろう。
山のマンガとかでよく見る滑落の場面。手足が変な方向に折れ曲がり、血まみれになった死体を見て泣き崩れる遺族。それがマンガの一場面としてでなく、妙に現実味を帯びて迫ってきた。こんな親不幸は無いなと思った。いつも山へ行く準備をしていると、「また山?死なないでよ」と言ってくれる友人たちの顔も浮かんだ。悲しむ人が居るから死が怖いのか?だがそれもちょっと違う。


結論から言うと私たちは前進した。正確に言えば、pecomaが前進した。山でやるクライミングは支点が落下の衝撃に耐えられるほどしっかりしていないので、落ちるかもしれないような難しいルートはやってはいけない。そこが難しいグレードを追い求めるスポーツクライミングとの違い。山自体はスポーツとは違うものなのだ。だが、リード(まず先頭にたって前進する人)であるpecomaは崩れ落ちるかもしれない難しそうに見えるルートに手をかけた。ここを抜ければ稜線上に出られそうだった。出られたところで安心というわけでは全く無かったけれど、そうすることが最良に思えた。ビレイする私はpecomaが落ちたら自分も落ちると判っていた。「ザイルパートナー」という言葉がある。互いにザイル(ドイツ語でロープのこと)を結び合う者同士、という意味だ。まさにその言葉の重みが伝わってきた。もしかしたらpecomaの落下を止めることができるかもしれない。しかし体重差10kg以上ある上に私が立っている場所は実に不安定で踏ん張りなどきかない場所、ハーネスから安全のためにつないである支点は落下の衝撃に耐えきれず抜けるだろう。だからpecomaとザイルを結びあっている私は運命を共にしてひきずり落とされるしかないのかもしれない。それがザイルパートナー、運命共同体ということだ。だがその時の私は、「絶対に止めてみせる」と強く思うしかなかった。


山へ来る途中のコンビニで、ヘッデンの替え電池を買った。ヘッデンとはヘッドライトのこと。頭につけられる懐中電灯なので両手が使える。山では必携で、替え電池も必ず持って行く。簡単な登山などではたまに替え電池を忘れることもあったが、今回は電池が切れかけていることを覚えており、買わなければと思っていた。特殊なリチウム電池なので一件目に行ったSEIYUには無く、仕方ないかと諦めた。が、次に寄ったコンビニにおいてあったので買った。あたりが完全に真っ暗になる前にヘッデンをつけなければならない。その時に思った。替え電池を買っておいてよかったと。山では些細なエピソードのうちひとつでも欠けたら、生きて帰れないのだと。


死ぬことはどうして怖いのだろう。大切な人との別れがつらいからなのだろうか。それとも死んだ後のことが分からないから怖いのだろうか。そもそも死ぬのは本当に怖いことなのだろうか?よくわからない。少なくとも私はこのとき恐怖を感じていた。しかしそれは死への恐怖ではなかったように思う。今にして思えば、それは山への恐怖だったのかもしれない。死への恐怖とは、山への恐怖の中のほんの一部分にすぎなかったのかもしれない。普通の登山道を歩いても、山との対話は出来ない。たぶん登山道を作った人間との対話しかしていないだろう。一般登山道でなくとも、よく登られていて整備されたバリエーションルートだって、山と直接向き合う必要は無いだろう。だがこのとき私たちは間違いなく、北岳と直接対峙していた。山と直接向き合うことがどれほど恐ろしいことか、それを身にしみて感じていた。


そうしてpecomaがとりついたルートには奇跡的に残置支点があった。当然とても古いもので錆びており、強度を確かめてみると簡単に折れそうだった。それでも無いよりはましだった。それのおかげでpecomaはそこを抜けられた。私があとに続いた。もう辺りは真っ暗でヘッデンの光だけが頼りだったが、満月が私たちを照らしていた。それから先も決して気を緩めることはできなかったが、私たちはひたすら登り続けた。登り続けて登り続けて、遂に山頂にたどり着いた。午後11時45分を回っていた。朝起きたのが4時半。遠い昔のことのように思えた。そこには去年普通の登山道で来たときと同じように山頂の看板が立っていた。何より、落石や滑落の心配の無い、広くて平らな空間があった。生還したのだと思った。


人の一生とは、奇異なものだと思う。もともと私たちは翌朝8時にふもとへ下山する予定だったのだが、前日に死とほとんど隣り合わせまで行きながら、予定通り翌朝8時には何事もなかったかのようにふもとへ到着した。その日は温泉に入って疲れをいやし、道の駅で買ったおつまみでビールを飲んだ。そしてその翌日は山岳部の後輩や先生方と共に楽しい沢登をやった。すべて予定通り滞りなく進んだ。しかしたぶん何かひとつでもピースが欠けていたら、この3連休の予定はすべて狂っていただろう。それだけでなくその後の人生全てが。もし、生きていればの話だが。


反省点は沢山ある。それをこれからpecomaと話し合って煮詰めていく積りである。だが、今回私たちの身に降りかかったことは、無事に帰れたからこそとても大きな意味をもつものとなった。この経験を決して無駄なものにはしたくない。あの時強く感じたことは「人は人によって生かされている」ということだった。一部の先鋭的な冒険家、登山家などを除けばそう言えるだろう。人の手の全く及ばないところで人間の生きる術はないのだ。今こうして自分の部屋でパソコン画面に向かっている私は、誰かが作ってくれた街のなかの誰かが作ってくれた部屋の中で、誰かが作ってくれたパソコンに向かっている。なぜ登山が好きかという問いに、「俗世の喧騒をはなれ自然の中に身をおくこと」に安らぎを覚えるという答えは多いが、そうやって安らぎを覚えながら歩いている登山道は正に誰かの手によって作られたものなのだ。そして私たちが生きて帰れたのも、そこに誰かが登った形跡、残置ハーケンがあったからだった。私たちは人である以上、どこまで行っても人によって生かされる存在だった。


それが分かればこそ、山がどうして恐ろしいのかが分かるはずだ。人の気配がどこにもない山になぜ「死の臭い」がするのかも。そして、何気なく過ぎていく日々がなぜそこにあるのかも、この経験をする前よりはなんとなく分かるような気がする。


この北岳バットレスのレポートについては、pecomaが”山恐怖症”から回復し次第pecomaによって「尾根の向こう」にUPしてもらう予定です(笑)。